2008年12月23日火曜日

12/23 Today マルサスが死ぬ(1834)

トマス・ロバート・マルサス - Wikipedia: "トマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus、1766年2月13日 - 1834年12月23日)はイギリス経済学における〈古典派〉の代表的経済学者、人口学者。リカードの親友で、かつ最大の論敵として知られる。

『人口論』は1798年にゴドウィンやコンドルセなどの社会改良・改革の思想に対する反論として書かれたが、この初版は匿名で出版された。
人口は、制限されなければ幾何級数的に増加する。生活資料は算術級数にしか増加しない。多少なりとも数学を知っていれば前者の力が後者のそれに比してどれほど大きいものか、直ぐにも理解できるであろう。

言い換えるなら、物資の増大が人口の増大に追いつかない以上、過剰人口による貧困の増大は避けられないというのが彼の"人口法則"の論旨である。これに対する方策として、初版では、疫病・戦争・飢饉などを過剰人口への自然による救済であると示唆し、これらの苦難こそが人間の精神をより高くするものと説いたため、社会から広く反発されたが、マルサスとしては、論理のおもむくところをそのままに表現したにすぎなかったであろう。この学説は、人間の不幸を宿命論的な自然法則の結果であるとし、これにより資本主義社会の矛盾を合理化して社会改革思想に反撃を加えたものである。著者名をつけて出版された、同書第二版(1803年)において過剰人口に対する方策として、禁欲を伴う結婚年齢の延期、即ち〈道徳的抑制〉が加えられる。"
まあ、中国の一人っ子政策。

恐慌についてもマルサスは正しく認識していた:
反動的な経済学説とも言えるが、一方、20世紀になって恐慌の原因として注目されるようになった〈過剰貯蓄〉の説がすでにマルサスによって考えられている。つまり、「利潤の中に消費されない貯蓄が生まれ、すべての所得が消費に回るとは限らない」という知見である。これが過剰生産と過少消費、恐慌の原因であるとマルサスは考えた。しかし、マルサスとの往復書簡の中でリカードは、過剰生産は一時的な現象であり、貯蓄や遊休資本は適切な産業へ速やかに移動することで解消されうる、と反論する。そのリカードの恐慌論(というより、恐慌は自由放任経済のもとでは長続きできないという見解)が主流となったため、ホブソンとケインズが採りあげるまでは、〈過剰貯蓄〉の含意は古典派経済学では葬り去られた。

マルサスは「ポリティカリー・コレクト」ではない。世の文科系学者は自分の「学説」を売らないことには飯を食えないし影響力も発揮できないので、たいていは「ポリティカリー・コレクト」。マルサスみたいに「身も蓋もないこと」を言うと社会的に葬り去られることとなるのである。マルサスはむしろダーウィンみたいな自然科学者に影響を与えた。

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